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小林紀晴「写真学生」と「AsianJapanese」-高校生の時の僕がどうやって写真と出会ったのか-

更新日:4月21日

この記事では、僕自身の人生の転換点となった「写真学生」と「Asian Japanese」(小林紀晴著)との出会いについて綴ります。 写真に興味の無かった高校生の僕がどうやって写真と出会ったのか。

写真という表現に少し興味がある方、あるいは写真そのものよりも「人生で出会う偶然の本」や「自分を形作る きっかけ」に関心のある方にも読んでいただきたい内容です。

ごく個人的な視点から写真に寄せる思いをまとめました。



高校時代、毎朝20分間の読書時間があり、何の本を読むか悩んでいた僕は、偶然書店で目にした「写真学生」という一冊 に心惹かれました。クリーム色の表紙、線画で描かれた横顔、バランスよく配置されたタイトル。その美しい装幀にまず 魅了され、特に写真が好きという訳でもありませんでしたが、何となく手に取ったのが始まりです。


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家には決してカメラが身近になく、写真と言えば「写るんです」のような使い捨てカメラのイメージ。しかし、両親は若い頃にアートやデザインに携わっていたせいか、美術館やスケッチ大会へ頻繁に連れ出してくれました。

実際には兄と美術館で遊んだ思い出 や、スケッチ大会の退屈さの方が残っていますが、それでもいつの間にか「美しいもの」への感受性が育まれていたのだ と思います。


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小林紀晴さんの「写真学生」は、著者自身が写真の知識もないまま大学の写真学科に進学し、仲間たちや世界と向き合う、自伝的な成⻑の物語でした。

専門的なスキルや技術用語が分からなくても、ページをめくるごとに著者の視点や写真との出会いに引き込まれていきました。 文中で描かれる静かなトーン、偶然の出会いは高校生の僕には想像もつかない世界でした。「暗室」で行われる現像の作業の描写は何か儀式的なものにも 思えたし、その中で行われる所作や専門的な内容に惹かれていったのだと思います。


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「写真学生」が思いの外面白くて、続けて読んだ「Asian Japanese」、アジア各地を旅し、出会った人々の写真 と物語が織り重なる、不思議な印象が残りました。

これらの本との出会いの中で、僕の中にあった「写真=記録」という固定観念が、大きく揺さぶられました。

それまでは、運動会や修学旅行で誰かが撮ってくれる“思い出の記録”というくらいの認識だった写真が、「見る」ものから「感じる」ものへと変わっていったのです。


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たとえば、ある一枚の写真があったとして。ピントが甘く、構図も少しズレている。でも、そこには確かにその場の空気が写っていて、誰かの目線を通して世界が切り取られていることを感じとることができます。「上手に撮る」とは何か、それ以前に「なぜ撮るのか」「何を残したいのか」という問いに、高校生の僕は初めて真正面から向き合わされた気がします。


そして、写真の中に写る“人”という存在にも意識が向くようになりました。Asian Japaneseに登場するアジアの人々、路地裏の風景、旅の中で交わされた会話——それらが写真と文章の中で静かに生きていて、「知らない誰かの人生に触れる」という不思議な体験ができたのです。僕は知らない世界に強く惹かれる一方で、「自分の目の前にある日常も、実はとても貴重なんじゃないか」と気づき始めました。


いつの間にか、僕は写真を意識しはじめました。本を読んだだけで、まだ一枚も写真を撮ったことがないのに、心の中に「撮ってみたい」「見てみたい」という気持ちが芽生えていたのです。


人生の転機というのは、派手な出来事じゃないこともある。むしろ、静かにページをめくった先に訪れることもある。

あの日、書店で「なんとなく手に取った」その一冊が、いまの僕の人生を形づくる原点になっています。

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