top of page

写真は「誰かのまなざし」──あなたの写真に“視点”はある?

写真って、何でしょう。 「被写体を写したもの」と答える人が多いかもしれません。

-写真とは「誰かのまなざし」を写したもの- そう考えたこと、ありますか? SNSで誰でも写真を発信できる私たちは、いつの間にか「撮ること」に夢中で、「何を見ているか」を忘れてしまっているのかもしれません。

── ちょっと古臭く感じてしまうかもしれませんが、戦後の2人の写真家の対照的な生き方から、「写真に必要な視点」について考えてみます。


【土門拳】“真実”を貫いた写真家──絶対スナップの哲学


土門拳(どもんけん)は「絶対非演出の絶対スナップ」を掲げた写真家です。


演出を排除し、目の前の現実をそのまま切り取る。

彼にとって、写真を“飾る”ことは「真実」への裏切りでした。


戦後の瓦礫

飢えた子ども

無言の仏像


現実の痛みも悲しみも、彼は真正面から見つめたのです。

筑豊炭鉱の子どもたちの写真には、裸足で、鼻を垂らし、こちらを見据える鋭い眼差しが写っていました。

音も声もないはずの写真なのに、その視線は、まるで“無言の主張”のように心に響きます。

彼にとって写真は「真実」であることが全て。 「写真家は事実を語る証人であれ」という哲学でした。


ree

ree

【植田正治】“詩”を紡いだ写真家──演出の中に美しさを


一方で、植田正治(うえだしょうじ)はまるで反対の道を歩みます。

彼の舞台は鳥取砂丘。

静かな砂と空の中に、家族やマネキンを配置し、まるで演劇のように撮影しました。


「現実」に「もうひとつのリアル」を重ねる。

彼の“演出”は、ただの作り物ではなく「美しさ」を紡ぐための詩。

構成された写真だからこそ生まれる不思議な空気感。

「現実」と「虚構」の境目に、美しさの可能性を見出していたのです。


ree



ree


あなたの写真に「視点」はある?

今の私たちはどうでしょう。「いいねが欲しい」「バズりたい」──そんな気持ちでシャッターを切っていないでしょうか。

気づけば・誰かの構図・誰かの光・誰かのポーズを真似している。

でも、それは「あなたのまなざし」でしょうか?

写真は、ただ“上手い”だけでは心に残らない。「誰の目で世界を見たか」が、写真の核です。




植田正治が撮影した土門拳
植田正治が撮影した土門拳


土門拳も、植田正治も、思想も手法も全く違うアプローチで「自分の目」で世界を見ていました。



撮影する一枚に「責任」を持てるように。

僕も、こうありたい。

土門拳のように、現実に真正面から向き合う強さを持ちたい。

植田正治のように、現実に詩を重ねる自由を忘れたくない。


写真を撮ることは、「自分は何を美しいと感じるのか」に責任を持つこと。

それができたなら、その一枚は、きっと“僕の眼差し”になるはず。

🌿


 
 
 

最新記事

すべて表示
感謝と覚悟 ─ 僕がシャッターを切る前に考えていること

写真はゼロから創るものではない──機材、光、被写体、すべて「与えられたもの」への感謝と、プロとして結果にこだわる覚悟。その両方を胸に、シャッターを切る前に考えていることをウェディング撮影の現場から語ります。

 
 
 

コメント


©2025 Sam Momota by Momography

このWebサイトはMomography(モモグラフィー)の公式ページです。

bottom of page