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SNS上の写真に、心がざわつく時がある


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SNSで「上手い」と評価されている写真。

でも、その評価に少しだけ、引っかかるような時がある。

それが、誰かの模倣をしただけの写真であった時。


“見たことのある”構図、“どこかで見た”色味、“よくある”シーン、粒子。

そして、なにより

―「誰かが既に通った道の上を、なぞっただけ」のように見える写真。


もちろん、模倣は学ぶうえでとても有効だ。

僕だってスタジオマン時代、撮影後にポラをかき集めて、セットをバラす前にライティングを記録し、先輩の技術をなぞりながら学んできた。

模倣は、技術を体に染み込ませる最良の方法だった。


でも、それをそのまま「作品」や「商売」にするのは、また話が違う。


法に触れていなければ何をしてもいい、という考えは、少し乱暴すぎると思う。

そこに「リスペクトが感じられない」としたら、それはもう創作ではない。

ただのコピーだ。


SNSには、“どこかで見たような”写真が溢れている。

きれいな夕日、並木道、逆光、砂浜、長いベール。 もはや「テンプレ」として誰もが選べるようになった景色や技法がある。

それ自体を否定したいわけじゃない。

でも、そうした模倣の多くが「元ネタを知らない人」からだけ評価されて、「知ってる人」から見たら、ただの焼き直しに映ってしまうこともある。

しかも多くは、表面的なコピーにとどまっている。


その差を生んでいるのは、きっと“何を真似たか”ではなく、“どこまで感じたか”だと思う。


模倣の対象が、技術や機材やロケーションだけで終わっているのか。

それとも、その奥にある“意図”や“世界観”、そして“感情”まで読み取ろうとしたのか。


「すごいね」と言われるのは簡単だ。

でも、「なぜだか心が動いた」と言ってもらえるには、

誰かのあとをなぞるだけでは、きっと足りない。


模倣のその先に、自分自身のまなざしや持ち味、技術を持ち込んで、

まだ誰も見たことのない写真や価値に出会いにいけたとき、

その一枚は“自分の作品”になる。

上手い写真、というより、自分の写真。

そんな一枚を、目指して撮っていきたい。

 
 
 

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写真はゼロから創るものではない──機材、光、被写体、すべて「与えられたもの」への感謝と、プロとして結果にこだわる覚悟。その両方を胸に、シャッターを切る前に考えていることをウェディング撮影の現場から語ります。

 
 
 

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